5万件の現場で学んだこと~「供養される権利」という言葉が生まれるまで~

「供養される権利」。

聞き慣れない言葉だと思います。法律の条文に載っているわけでもなければ、どこかの教科書に書いてあるわけでもない。これは、私が25年間、5万件以上の死の現場に立ち続ける中で、どうしても言葉にしなければならなかった、ひとつの確信です。

家族がいてもいなくても。お金があってもなくても。宗教を持っていてもいなくても。人は死後、「処理」されるのではなく、「祈られる」権利がある。

今日はその言葉が、どの現場で、どんな問いの果てに生まれたのかを書きます。


目次

毎日が通夜と葬儀だった──18歳で入った葬儀の世界

葬儀の現場、祭壇に向かう葬儀人のシルエット

18歳で葬儀業界に入りました。最初の3年間は、毎日が通夜と葬儀の連続でした。朝から晩まで、人の死と向き合う日々。悲しむ遺族の前に立ち、祭壇を整え、棺を運ぶ。それが私の社会人としての出発点でした。

その後、東京の警視庁専門の葬儀社に移りました。ここでの仕事は、病院で息を引き取る方の葬儀ではありません。事件、事故、自死、孤独死──警察が関わるすべての死が、私たちの現場でした。

年間およそ3,000件。そのうち、自ら命を絶った方が8割を占めていました。

遺体を搬送し、ご安置し、火葬の段取りをする。遺族がいる場合もあれば、誰も来ない場合もある。名前はわかっても、この方がどんな人生を送ってきたのか、何に苦しんでいたのか、知る術はありません。

それでも、一人ひとりの前に立つたびに、同じ問いが浮かびました。

「なぜ、この人は死を選ばなくてはならなかったのだろう」

当時、ある監察医の先生がいつも同じことを言っていました。「動機はなんだ」と。ご遺体の前で、亡くなった経緯だけでなく、その人がなぜ死に至ったのか──その「なぜ」を突き詰めようとする姿勢でした。

でも、何千という現場を重ねる中で気づいたのです。その問いが、いつの間にか自分の中にも棲みついていたことに。なぜこの人は孤独だったのか。なぜ誰にも頼れなかったのか。なぜ、最期の瞬間に手を握ってくれる人がいなかったのか。


無名の遺骨が並ぶお寺の納骨堂(イメージ)

年間200体の遺骨──「埋葬」ではなく「処理」だった現実

警視庁専門の葬儀社では、「葬祭扶助」と呼ばれる案件を数多く扱っていました。生活保護を受けていた方、行旅死亡人(身元不明や引き取り手のない方)──そうした方々の最期を、行政の委託を受けて執り行います。

その中で、年間およそ200体の遺骨を引き受けていました。引き取り手がない遺骨です。

お寺に永代供養をお願いしていました。1体あたり1万円。でも、数が多すぎました。「これ以上は受けられない」と言われる。別のお寺を探す。そこもいっぱいになる。その繰り返し。

そんなある日のことです。行方不明者の捜索の中で、過去に私たちが供養したという方のご遺族が見つかりました。ご遺族はこう聞きました。

「遺骨は、どこにいったのですか」

当時のお寺に確認しても、「もうわからない」という答えしか返ってこなかった。

「わからない」。それは、遺骨がどこかに「ある」のではなく、誰にも記憶されないまま消えてしまったということです。名前を呼んでくれる人も、手を合わせてくれる人もいない。

──これは、埋葬ではない。処理だ。

そう思いました。

→ 関連記事:身寄りがない人が亡くなったら、何が起きるのか


葬儀人として、本来のお別れを──組織の限界に気づいた日

もし、すべての葬儀を自分の手で行えたなら。一人ひとりに丁寧に向き合い、たとえ身寄りがなくても、名前を呼び、手を合わせ、ちゃんとお別れができるのに。

そう思った時期がありました。でも、体はひとつしかない。

自分がどれだけ想いを持っていても、組織が大きくなればなるほど、現場の温度は下がっていきます。部下にその心得を伝えても、返ってくるのは「生活がかかっていますから」という声。それは責められません。みんな、そうです。

けれど、葬儀の本質は「ビジネス」の外側にあるはずでした。亡くなった方の尊厳を守ること。遺された方の悲しみに寄り添うこと。それが葬儀人の本来の姿だと、現場にいればいるほど確信が深まっていきました。

ならば、手の届く範囲でいい。自分の手が届く人に、ちゃんと手を差し伸べられる場所を作ろう。大きくなくていい。目の前の一人に、全力で向き合える会社を。

「そろそろ」という名前に込めた想いの、最初の種はこの頃に蒔かれたのだと思います。


カンボジアの寺院──スコールの中で走る子どもたち(イメージ)

カンボジアの葬儀──スコールの中で走ってきた子どもたち

ある年、カンボジアで葬儀に参列する機会がありました。

その寺院には、100人ほどの僧侶がいました。ただし一番下は4歳でした。捨てられた赤ん坊を寺院が引き取り、僧侶として育てる。女性は僧侶にはなれないけれど、世話人として寺院で暮らす。そうやって、行き場のないすべての人を受け入れてきた場所でした。

葬儀は二日間にわたって行われ、初日の夕方、激しいスコールが降りました。その雨の中を、近所の子どもたちが走ってきたのです。裸足で、裸のまま。手には安そうな透明のポリ袋。

「ごはんくれ、ごはんくれ」

喪主が立ち上がり、その子どもたちにご飯をよそい始めました。海老、魚、米。ずぶ濡れのポリ袋に次々と入れていく。私も一緒に手を動かしました。

日本では考えられない光景でした。自分の子どもだって、「あれが食べたい」「これは嫌だ」と言う。でも、ここではご飯があること自体が特別なことでした。

あげてみると、心が静かになりました。


カンボジアの葬儀供物──バナナの葉に包まれた食べ物と花

「すべてに供える」──供養される権利の根本に触れた朝

翌日。葬儀の本番が始まりました。

参列者が一人ずつ立ち上がり、金色の台座の上に、バナナの葉で包んだご飯やおかずを盛り始めました。お札も一緒に供えている。誰かに頼まれたわけではなく、全員が自分の手で、自分の供え物を作っていました。

その光景の意味を、現地の方に尋ねました。返ってきた答えは、こうでした。

「生きている人も、亡くなった人も。貧しい人も、豊かな人も。人間も、動物も。すべてに等しく供える。それが供養です」

私の中で、何かがはっきりとつながりました。

「供養される権利」という言葉自体は、カンボジアに来る前から、ぼんやりと頭の中にありました。日本の現場で何千体もの遺骨と向き合い、「処理」される死を見続ける中で、どうしても言語化しなければならないと感じていた何か。でもその「何か」の正体を、私はこの朝、はっきりと理解しました。

供養とは、宗教の儀式ではない。祈りとは、特定の信仰に属するものではない。

祈りは、人間の本能です。

家族がいるかいないか。お金があるかないか。信仰を持っているかいないか。そんなことは関係なく、すべての人は「祈られる権利」を持っている。すべての死者は「供養される権利」を持っている。

それが、25年の現場と、あのカンボジアの朝が教えてくれたことでした。


「供養される権利」は、準備した人だけが行使できる

言葉が生まれる前と後で、尊厳に対する私の想いは変わっていません。18歳のあの頃から、一人ひとりの前に立つたびに同じことを感じていました。

変わったのは、自分の立ち位置です。

大きな組織の中では、どうしても「全員に手が届く」ことはできない。ならば、小さくてもいい。手の届く範囲で、本当に必要としている人に、葬儀人としての本来の仕事を届けたい。

「そろそろ」は、その想いから生まれました。

おひとりさまであっても、身寄りがなくても、「ちゃんと送られる」ことを諦めなくていい。自分の最期を自分で設計し、信頼できる人に託しておくことで、あなたの「供養される権利」は守られます。

死に方は選べなくても、送られ方は選べる。

その選択肢を、一人でも多くの方に届けること。それが私たちの仕事です。


まとめ:「供養される権利」とは何か

  • 供養される権利とは、家族の有無や経済状況に関係なく、すべての人が死後に「祈られる」権利を持っているという考え方です
  • この言葉は、25年間・5万件以上の葬儀現場と、カンボジアでの原体験から生まれました
  • おひとりさまがこの権利を守るためには、生前の「備え」──死後事務委任契約や葬儀信託──が欠かせません
  • 「そろそろ®」は、おひとりさまの供養を葬儀・信託・死後事務のワンストップで支える終活支援サービスです

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